稽古と練習 何が違うの?

稽古と練習 何が違うの?

皆さんごきげんよう。
我が土佐直伝英信流中村支部は、毎週水曜日と土曜日の夜七時から九時まで、安並武道館で『型稽古』をしている。
そして武道館の外では、野球チームが『練習』をしている。

当流の型稽古は同じ動きの繰り返しで、基本的には一部を抜き出しての部分練習はしないし、特定の体の部位を鍛える筋トレもしない。そして我々は決して稽古のことを練習とは言わない。

野球は、守備練習、打撃練習、走り込み、筋トレなど新しい理論で研究された最短最適で上達するための動きを反復をしている。

ふと考えた。型稽古と練習、何が違うの?

『練習』は明治くらいに出来た新しい言葉で、稽古は昔の言葉なのかな?だから武道は昔からあるものだから稽古、新しいスポーツは練習かな?

それぞれの意味を調べたら、『練習』は学問や技芸が上達するように、繰り返し学習すること。
稽古の『稽』とは考える、考察するという意味。つまり昔のことを調べて今なすべきことを知ること。伝統的な型を教え通りに出来ているか考えることが稽古。

ちなみにいつ頃出来た言葉かと言えば、練習はそう新しい言葉ではなくて南北朝時代(14世紀)の歌の本に出てくる。新しいくないやん。それなら稽古はいつから?なんと古事記の冒頭序文に出てくる。やっぱりこっちはかなり古い。

じゃ型稽古は昔からのことを変えずにやってるから古臭くて間違ってる部分があって、現代科学のスポーツ理論に則って最新のやり方で反復する『練習』方が正しいのか?

実は全く逆、現代スポーツ理論で行う『練習』法は、最新の研究によって常に更新されている。しかし常に新しい反面、前の考え方が間違っているから更新されるので、正しくあり続けるものとは言えない。

何年も前の昔からずっと続いている、つまり時間によって取捨選択され最終的に排除するものが無くなった研ぎ澄まされた動きの反復、それが『型稽古』。型稽古は誰が同じことをしても同じ結果にたどり着く再現性があり、また原因と結果がはっきりした因果関係もある。
だから昔から続く型稽古は懐古的考古学的カビ臭的なものではなくて、最も科学的な鍛錬方法だと言える。

現代スポーツ理論で行う『練習』法は、最新の研究によって常に更新されている。しかし常に新しい反面、前の考え方が間違っているから更新されるので、正しくあり続けるものとは言えない。

型稽古は一見すると同じことの繰り返しのようだが、自分自身の感覚に問いかけて常に違うことをしている。数値で測って見極められない感覚。今の動きは如何だったか、構えは、握りは、速度は、等を常に問いながら、自分の在り方はどうあるべきかを考えるのが、型稽古。

なるほど、「居合の稽古の本質は人間形成にあり、そのための稽古をしている。」という言葉の意味がようやく分かってきた。

ではまた。

(『整体師腰の王子』様のお考えを参考にしました。ありがとうございます。)

 

 

 

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